第一章
「あなたは、なぜ箱島湧水を選んだのですか?そこが知りたい。」と、お客様から聞かれることがあります。「なるほど」。自分で選択したことを「なぜ?」と聞かれると昔のことなので忘れてしまっている部分が多々あります。そして、今では気にも止めてないことに気付かされます。そこで、私が箱島湧水を選んだ経緯を「追体験」をしていただくために、上記の質問への答えからお話を始めさせていただくこととします。

 

 

「箱島湧水を選ぶ」6年前、私は東京から六合村に移住しました。今から33年前のことです。当時は妻と二人だけだったのですが、妻のお腹にはやがて生まれる長女が宿っていました。私は、子供を生み育てるのは東京ではなく、どうしても「田舎にしたい」と考えていました。そこで、迷うことなく、それまで尻焼温泉目当てに何度も訪れていた民宿をつてに六合村に移り住むことを決めました。六合村に移り住んだ当初は、古い一軒家を借りて仮住まいを始めましたが、翌年から民宿の長男の勧めで、彼を棟梁として丸太小屋作りを始めることとなりました。尾瀬の長蔵小屋で枕木小屋を建てたその人の技術は、「玄人はだし」でしたが、彼に言わせると「丸太小屋」が一番安く作れるとのことでした。詳細をお話すると長くなるので割愛しますが、斯くして私は「何でも自分たちで作り出してしまう」田舎の流儀に、移住当初からスッポリはまることとなりました。仕事は、6月から10月までは村の臨時職員として野反湖ロッジに勤めました。11月から5月にかけては、県営ダムの「落ち葉落とし」や雪の中での「伐採(杉の間伐)」とどちらも一人でこなす仕事にありつくことができました。ご存知の方は少ないと思いますが、六合村は僻地と呼ぶに相応しい地で、「美しい」自然の中にあります。しかし、その分だけ過酷な自然と向かい合わせの場でもあります。それが、その地に住む人々の強さを作り出していました。お年寄りたちは「凛」としてカッコよく、殊に「おばあたち」は、インディアンの「戦士」と見まがうばかりの出で立ちで、賢くしかも逞しさを纏っていました。ここまで美しい自然は、人間の開発の手が及んでいないから存在する。そこは、まさに動物や虫達の領土でした。しかし、それを目の前に「拝める」ほどの地まで人が手を掛け開墾をしていました。その証しが、山肌に畑として散在しています。とは言え、そこは紛れもない「限界集落」で、人間と自然の境界線上にありました。

 

 

丸太小屋は「ぼくぼく井戸」と呼ばれる湧水の脇に建てました。和光原と呼ばれる部落内ですが、他の集落が集まって建っている場所からは300mほど離れ、建てた当初は全くの一軒家で、他の人家は見渡せる範囲の中にはありませんでした。私にとっては、すべてが新鮮で、「ワクワク」することばかりでしたが、休み毎にやってくる東京の友人たちにとっても、いつしか六合村は「病みつき」の地となりました。その内の一人から、「今の事業に行き詰まってしまっているが、何かこちらにあるもので事業化できるものはないか?」と問われたことが、「水事業」を始めるきっかけとなりました

 

それが「なぜ?箱島湧水を選ぶことになったのか?」 思いつく理由は、5つほどあります。

 

1.当時、NHKで「日本水紀行」というシリーズの番組が作られ、その第1回目に「箱島湧水」が取り上げられました。

 

2.野反湖ロッジに勤めていた時に、東養魚場が「ニジマスの放流」で毎年数回やって来ていて、社長と顔見知りとなりました。東養魚場は、「ぎんひかり」の生みの親ですが、今でも箱島湧水を養魚に使っています。

 

3.源水を求めて「忍野八海」を訪ねてみましたが、自然環境や湧水を間近に見て、「これは違う」と直感しました。

 

4.源水選びという点で何かしら拠り所となるものを探し、「おいしい水の探求」という本に巡り会いました。その本に書かれていた「天然水が一番安全でおいしい」という言葉に強く惹かれました。

 

5.その著者で、当時「水の第一人者」であり「水博士」と呼ばれていた小島貞男先生を訪ね、箱島湧水の評価をしていただきました。先生は、成分分析表を見ただけで、開口一番「これは間違いなくおいしい水だ」と褒めてくださいました。そして、飲んだ後にもう一度「これは本当においしい」と太鼓判を押してくださいました。実際に、先生が著書の中で掲げていらした「おいしい水の条件」に、箱島湧水はすべてが当てはまっていたのです。

 

上記が、私が「箱島湧水」を選んだ主な理由です。しかし、人知の及ばないところから「コンコンと湧き出る」天然水の力を私は知っていました。長女に次いで年子の長男を育てる中で、「ぼくぼく井戸」の水がどれほどの役を果たしてくれていたか?私は身を持って体験してきました。それは、私の中では「水はすべての源」と言われる由縁を体得することと通じていたのです。東京で育った者が田舎で感じたものは、すべての生命が持つ逞しさであり、その逞しさはその地で暮らし始めた私や家族にも及んでいることを実感しました。そして、その大本に「尽きることなく湧き出る水」の存在を感じずにはいられませんでしでした。

 

「忍野八海」を見たときに感じた違和感は、湧水と人との距離感だったと思います。観光地の茶屋の前にある湧水池には小銭が投げ込まれていて、美しさには程遠いものでした。それに比して、箱島湧水は、「ぼくぼく井戸」と同じように自然に守られるようにして、「その場」にありました。人々を圧倒するような存在感は、神聖さを醸し出し周囲に荘厳さを漂わせていました。それは、極自然に「穢してはいけない」という気持ちを人々に抱かせます。その姿は、「水はすべての源」であることを私に想起させるに十分なものでした。有体に言えば、それが「私が箱島湧水を選んだ理由です。」

 

「クラスターがこまかい」とか「浸透力が強い」とか「カルシウム分が多い」とか「もののおいしさを引き出す抽出力に優れている」とか「蕎麦打ちに適している」とか「ガンで余命いくばくもないと言われていた人が、15年以上経った今でも箱島湧水を愛飲してくれている」とか「娘のアトピーに効果がある」とか「うちの犬はエアさんの水しか飲まない」とか「この水で炊いた米は、冷めた後でもおいしい。その差は歴然としている。」等々のお話は後で聞くこととなりました。

 

私は「水はすべて源」ということを感じさせてくれる箱島湧水の姿に魅了されました。そして、その圧倒的な水量を誇る天然水が、すべての生命が必要とする要素を含んだ「活きた水」であることにかぎりない「豊かさ」を感じました。この地では、この水で「川魚」が育てられ、「米」や「野菜」が育てられている。里山では多くの生き物がこの天然水に寄り添い、たくさんの花が咲き誇っています。「この生まれたばかり水を、最初に人が体内に取り入れる。」そうした「贅沢」をもっともっと多くの人々にも味わってもらいたい、と心の
底から思いました。
第二章
ここからは、私たちの「水事業」に対する「思い」を記します。

 

「なぜ?箱島湧水を選んだのか?」の中で、私は「限界集落」という言葉を使いました。「限界集落」とは、「過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者となって社会的共同生活の維持が困難になっている集落を指す。(ウィキペディア)」とされています。

 

私がこの言葉を使った時には、別なニュアンスを「込め」ました。「人間と自然界の境界線」というものを意識した上で、人間が「これ以上の開拓はしない」という「限界(諦観)」を示した地点と捉えて使いました。産業革命後、人類は極端な「人口増加」傾向を辿りましたが、それに連れて、自然界に果敢に挑み、耕作地を増やす努力を積み重ねました。勿論その努力は、産業革命以前からも為されていました。人類は、本当に気の遠くなる様な歳月を掛け、「食糧のなる木」を育て上げてきたのです。しかし、今の年寄りたちを最後に、日本では随所で、その行為からの「撤退」を始めています。人が、これ以上の新たな開墾はしないばかりではなく「食糧のなる木」を手放し、営々と築いてきた地を自然に返すという挙に出ています。そうした人間の「後退局面」を顕すものとして、私は「限界集落」という言葉を用いました。

まだ、世界の「人口増」には歯止めがかかっていません。たしかに、先進国での人口増は止まりました。しかし、世界では後進国を中心に「人口増」が進んでいるにも関わらず、食糧生産は減っています。日本は、工業製品を売って、世界中から安く食料を買い集めてきました。一方、何十年も前から既にアフリカを始め、後進国の人々は飢えに晒されています。今でも、それは変わりがありません。その上、気候変動による旱魃や洪水により、世界中の食糧生産はどんどん不安定要因を増すばかりです。食糧輸出国だった中国は「世界の工場」になり、いずれ自国で作った食糧の「地産地消」化は、黙っていても進むことになります。どう考えても、日本が食糧難に陥る公算が「大」であることは間違いありません。しかし、そのことに対する「危機感」は、日本の場合「ゼロ」に近いと言うのが実情です。

「限界集落」が私たちに突きつける危機は、そこにとどまりません。人々が自然を舞台とする第一産業の生産活動から身を引くことで、人々が獲得してきた「強さ」を急激に失いつつあるという局面を誰も見ようとしません。良く目を凝らして見てください。私たちが知っている年寄りたちが農地に注ぎ込む「執念(の強さ)」と、若い親達の「危機感のなさ」と、その子供達の「非弱さ」を、冷静な目で見てほしいのです。そこに人間が自ら示し始めた「限界(諦め)」を感じ取ることはありませんか?そして、私たちが実際に「食糧危機」に直面した時の「混乱」を想像してほしいのです。

それが、「水はすべての源」という価値観を忘れた者達に訪れる「応報」だと、私は考えています。それを「危機感を持たない若い親(私の子供)や非弱な子供(私の孫)たち」に伝えることができるのは、私たち(私)をおいて他にないのではないのでしょうか?私は、およそ30年程前から、同じ様なことを繰り返し述べてきました。その根底には、「人間と自然界の境界線」に住んで体感して得たものがあります。

当時から「大丈夫。人類は同じ様な危機を何度もくぐり抜けて来ている。危機を前にすれば、人間にはそれを乗り越えるだけの叡智が備わっている」という「言葉」を何度も聞かされてきました。しかし、本当にそうなのでしょうか?「限界集落」が示す「人類の後退局面」は、「食糧不足」と「人類の弱体化」という「二つ」現実を同時進行させています。それでも、「本当に」時がくれば人類は叡智を蘇らせることができるのでしょうか?
アフリカの水場に集まる動物を見るまでもなく、如何にその水量が残り少なくとも、水は「独り占め」などできません。「飲み溜め」もできませんし、毎日欠かすこともできません。そこで、乾期にはどの動物たちも水を求めて過酷な大移動をします。そして、雨期になればすべての動植物が息を吹き返すのです。その中で、あらゆる生命は「強さ」を得、「転生」を繰り返えしてきました。人類だけが、治山治水や潅漑や貯水を通して、水を確保する術を身につけてきました。しかし、その果てに、人類だけがその水を「飲むに耐えない」ものに変えてしまうような「力」まで手に入れてしまいました。

そこで、私は「その取水方法とその取水地点を変えること」を提唱しています。人体の60%は「水」で出来ていると言われます。そして、人は1日2ℓの水を、体内でできた老廃物を体外に排出するために必須としています。その水に有害物質や人工物等が含まれているとどうなるか?は、容易く想像できることです。人間には適応力が備わっていますから、多少のものなら騒ぎ立てることもないと言う人もいます。しかし、豊富な天然水に恵まれた民が、わざわざ「得体の知れない」水道水を飲み続ける必要はありません。人生80年として、ずーっと「良い水」を飲み続けるのと、ずーっと「変な水」を飲み続けるのでは、大変なちがいが生ずるのは誰が考えても当然のことでしょう。その「変な水」が、日本では各家庭に「配給」されています。「配給」以外に別な「飲用水」の入手手段があると言うならいざ知らず、今のままでは、私たちは「その水(道水)」を黙って「飲み続けるしかないではありませんか?」
弊社が「水事業」において目指しているのは、現在の公共水道に取って代わることです。皆さんの多くは、「日本の水道技術は優れている」とお考えかも知れませんが、それは誤解に基づいた「思い込み」です。実際の公共水道は老朽化が進み、問題は山積し、どの問題に対しても解決の糸口すら見出せない状態に追い込まれています。群馬では戦後水道本管に「アスベスト管」を用いました。「安かった」からです。その「アスベスト管」の残存率は関東の中でも群馬が「第一位」です。その存在は県庁のホームページにも記載がありますが、わざわざ「アスベストは、飲用であれば健康被害に因果関係は証明されていません」と書かれています。しかし、同時に素材として「もろく」耐震性に劣るために交換が必要と書かれています。ただ、予算的に無理があり、残存率をゼロにするには「10年の期限では無理」とされているのです。そのこと一つ取っても、「日本の水道技術や水道水のレベル」の程度を計り知ることができます。しかし、一番大きな問題は「日本の水道」が「急速濾過法」に拠っていることにあります。公共水道は、世界広しと言えども先進国と呼ばれる国々にしかありません。そして、そのほとんどすべてが「緩速濾過法」を採用しています。日本も戦前は「緩速濾過法」を採用していましたが、戦後はアメリカに倣って「急速濾過法」を取り入れ今日に至っています。但し、そのアメリカでは、「飲食用に公共水道を使う人は、もう10%程度の人々に限られています」。様々な健康被害が表面化して、「急速濾過法」の限界が露呈してしまったため、アメリカでは急速な「公共水道離れ」が進んでしまったのです。

 

お陰で、「急速濾過法で処理した水を飲食用としている国は日本しかない」というのが、実情です。しかし、その実情を知る人は(ほとんど)居ません。その事実を不問に付すために、「日本の水道技術は優れている」という風評は、まことしやかに流されているのです。

 

上述したことの真偽は、是非ともご自身でも探って見て下さい。毎日欠かさず飲む「水」の質は、体に直接的な影響を及ぼすわけですから、人任せにすべきではありません。

第三章
私たちは、「なぜ?祖先が水はすべての源と名付けたのか?」その理由を「すっかり」忘れています。私たちの祖先は、物事の始まりに「水」を置きました。それは「洋の東西を問いません」。あらゆる国の神事に「水」が用いられるのも、祖先が如何に「水」を「大切」なものと考えていたかということの証しに他なりません。そして、もっとも重要なことは、それが「比喩的」に語られていたわけではないということです。祖先たちは、「水はすべての源」という言葉を、あたかも、人類にとっての「大切な約束事」であるかのように、世界各地で記しているのです。 (因に「エア」とは、古代メソポタミアの言葉で「水の神=すべての源」を意味しています。)

それは「なぜでしょうか?」 祖先は「水」の大切さと共に、その「大切さ」がいずれ「忘れ去られる」ことも承知していたのです。ですから、「いの一番」にそのことを記しました。そして、一番大切な儀式=神事にも「水」を据え、その大切さを子孫にも語り継がせようとしたのです。しかし、その「事実」は、映画「猿の惑星」に登場する「自由の女神像」のように海岸の砂に埋もれています。

私たちは、そのことの「結果」を目の当たりにしていますが、その「原因」が「何か?」を忘れたため、分からないままでいます。一番大切なものを「ないがしろ」にしてしまった人類は、「拠り所」を遺棄してしまったために、様々な事象に対して「どう対処すべきか?」が判断ができないようになってしまっているのです。

私たちは、経済を拡大させるためには、地球温暖化も厭いません。その結果として、私たちは自然災害の猛威に晒されるようになっているのに、そのことによる経済的損失に目を向けようとしません。そして、その損害が、個々人を見舞っても「誰も補償してくれない」という現実を目の当りにしておきながら、私たちは、尚それが「自分の身にも起こる」とは考えていないのです。

農作物は、太陽のエネルギーと水の力を得て自らの持つ「生命力」を結実させます。それを人間は食します。私たちは、その「命」をいただいて、「糧」としているのです。太陽のエネルギーは、形を変えて例えば石油というエネルギーとなります。木材もそのまま燃やすことでエネルギーとなりますが、石炭に姿を変えて化石燃料ともなります。「サトウキビ」や「トウモロコシ」などからバイオ燃料を取り出す技術が確立されてきたように、太陽エネルギーを受けたすべての「生命」から、エネルギーを「取り出す」事ができるようになりました。その手法が、「再生可能エネルギー」と今後人類が付き合って行く方向性を示しています。それは、太陽光・風力・水力・潮力・地熱発電といった「再生エネルギー」にかぎらず、化石燃料に匹敵するようなエネルギーさえ、農業を通して「再生可能エネルギー」として取り出せる可能性を私たちに示しています。

人間も動物も、実は太陽エネルギーを直接受ける事で、「健康を保つ」「体を強くする」ことを「当たり前」のこととしてきました。「生きること」「労働すること」自体が、逞しい「生命力」を培うことと直結していたのです。そういう「当たり前」が、今の人間社会では「当たり前」でなくなってしまいました。それは、昔「すべての源」と呼ばれたものが、今では本来の「価値」を失ってしまっているのと、同じ理屈です。「太陽(エネルギー)」と「水」、その二つが地球上のすべてを産み出しました。人間も然りです。その人間が自分たちだけでなくすべての「生命」の起源である「太陽と水」を、脇に追いやるという挙に出始めているのです。

「太陽と水」から距離を取ることで、当然のことながら、人間の「生命力」は弱まっています。その観点で「もの事を見る」ことが大切なのだと思います。人間には防衛本能があり、有害物質が体内に侵入しようとすると、体の防衛システムが勝手に働くようにできています。免疫システムやたとえばアレルギー反応のように、体が異物に反応するような仕組みが出来上がっていますから、水に「有害物質や化学合成物質等」が含まれていると、人間の体がそれを取り込まないように動きます。すべてを吸収してしまうのではなく、拒絶したり、応戦したりするため、当然人体システムに負荷がかかります。それが、時に「癌細胞の生成」につながります。一方、「天然水」は、吸収し尽くしても人体に負荷をかけることはありません。それが、地球上のあらゆる生物を育んできた「天然水」の「力」であり「資質」なのです。

自然は、「大型のタイムマシン」です。たとえば、星空を見上げれば、そこには既に消滅してしまっている星も見ることができます。見えている星々と現存している星々は同じものではありません。その意味では、私たちは、日常的にタイムトリップを体験しているのです。「天然水」も現在の人間の影響力から離れて「無垢のまま」で「再生」を繰り返しています。私たちは、そうした壮大さの中で生きているのに、その観点を往々にして忘れ、「せせこましい」人間時間に囚われてしまいます。私たちの祖先は、目の前に拡がる自然や宇宙から、物事の道理とか人間の生きる意味を学んできました。そして、自然科学へのアプローチも体得してきたのです。その初心に戻る。それが、迷宮に迷い込んでしまった「人類」にとって「今一番成すべきこと」と思えてなりません。

「太陽と水」。この二つが地球上のすべてを産みました。その内の太陽は、「健在」です。フロンガスによるオゾンホールの拡大は懸念されますが、それ以外では太陽の存在はあまりに大きく、人類が太陽活動に何かしらの危害を加えるという心配は無用です。ただ、水に関しては、人類はその汚染に手を染めてきました。「水の世紀」と呼ばれる「時代」をどのように生き、地球の豊かさをどう次世代に受け継いで行くのか?それは、紛れもなく、今を生きている私たちに課せられた命題なのです。
その昔、「水はすべての源」と崇められ、権力の象徴ともされてきました。それが、今は「蛇口をひねると出てくるもの」とされ、「ありがたみ」のないものに成り下がっています。「水道水は生水で飲まない方がいい」と言われれば、「ありがたみ」も感じようがありませんし、飲むことを躊躇するようになって当然です。それを、私たちが「望めば」、昔のままの、健康維持に欠かせない「すべての源」に戻すことができます。人間のせわしない時間とは無関係に、自然が織り成すゆったりとした時間は、「すべての源」を「再生」させ続けています。私たちがその存在に気が付くか?否か?とは関係なく、その営みはずーっと続いてきました。だからこそ、そこに価値を置く意識さえ取り戻せば、私たちはその「天然資源」の恩恵に浴することができるのです。

 

 

 

私は、天然水の「本来の価値」を掲げ、「その3等分」を皆さんと実現したいと考えています。なぜなら、昔なら人々が「一番大切なもの」と考え手放さなかったものが「路傍の石」のように、目の前に放置され「湧き出している」のです。人類の知恵が「すべての源」と命名したものを、等分にして「分かち合う輪」を(再)構築したい。その「輪」は如何に小さくとも、3者の理解と合意とそれぞれが示す積極性さえあれば、動かすことができるのですから。